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史話
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商品副データPD叢書坂口安吾/芥川龍之介凱風社この著者の新着メールを登録する発行年月:2009年02月登録情報サイズ:単行本ページ数:189pISBN:9784773633047【目次】(「BOOK」データベースより)織田信長(坂口安吾)/俊寛(芥川龍之介)/平将門(幸田露伴)/武蔵野(山田美妙)【著者情報】(「BOOK」データベースより)吉田和明(ヨシダカズアキ)評論家・コラムニスト。
千葉県館山市生まれ。
法政大学経済学部卒業。
東京工業大学社会理工学研究科博士課程修了。
1980年代に綜合評論誌『テーゼ』を創刊、主宰。
86年より、日本ジャーナリスト専門学校講師。
また、この間、大学やカルチャーセンターなどの講師も務める。
評論執筆の傍ら、『北海道新聞』など地方紙を中心に、コラム、書評、エッセイなど400本以上を執筆する新田準(ニッタジュン)1947年生まれ。
上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。
卒業後商社勤め10年間のあいだに、ウイーン駐在東欧巡回員などを経験。
凱風社設立メンバー坂口安吾(サカグチアンゴ)1906〜1955。
小説家。
新潟市西大畑町生まれ。
坂口家は代々阿賀野川流域の大安寺村に住した旧家で、大地主であったが、安吾が生まれた頃にはすでに傾いていた。
中学卒業後に小学校の代用教員になるが、求道の厳しさに対する憧れから翌大正15(1926)年には東洋大学印度哲学科に入学。
悟りを開こうと四時間の睡眠時間で、哲学書や宗教書を読む。
大学に通うかたわら通いはじめたアテネ・フランセの友人たちと同人誌『言葉』(後、『青い馬』と改題)を発刊。
そこに発表した「風博士」が牧野進一に、「黒谷村」が島村藤村と宇野浩二に激賞され、文壇で注目されるようになる。
戦後に発表された「堕落論」は、混乱と背徳の果てに人間回復を待望するものとして、虚脱状態にあった当時の知識人に大きな衝撃を与えた。
太宰治、織田作之助らとともに、「無頼派」の名で呼ばれた芥川龍之介(アクタガワリュウノスケ)1892〜1927。
小説家。
東京市京橋区入船町生まれ。
子供のときから神経質で体も弱かったが、学業には秀でていた。
大正2(1913)年、東大英文科に入学。
翌3年2月、豊島与志雄、山宮允、久米正雄、菊池寛、松岡譲らと第三次『新思潮』を発刊。
翌4年12月より、夏目漱石の木曜会に出席するようになる。
大正5(1916)年2月、久米、松岡、菊池らと第四次『新思潮』を発行。
創刊号に書いた「鼻」を漱石に激賞され、文壇への足掛かりをつかんだ。
同年9月、『新小説』に「芋粥」を、10月には『中央公論』に「手巾」を書いて、新進作家として認められた。
大学を卒業して後、海軍機関学校の嘱託教官を勤めていたが、大正8(1919)年3月に大阪毎日新聞社の社員となり、作家生活にはいる。
大正11年頃から、歴史物から現代物へと転換をはかり、晩年は「話らしい話のない小説」(「文芸的な、余りに文芸的な」)への憧れを語るようになる。
「将来に対する唯ぼんやりした不安」に苛まれ、昭和2(1927)年7月24日未明に、睡眠薬を服んで自殺した幸田露伴(コウダロハン)1876〜1947。
小説家、随筆家。
江戸下谷三枚橋横町生まれ。
幸田家は代々、幕府の表御坊主衆の家がら。
明治22(1889)年、「風流仏」が世に認められる。
同年12月、読売新聞社に入社。
明治24(1891)年、愚鈍な大工・十兵衛が塔の建立を見事に果たす「五重塔」を発表。
文壇での地位を不動のものとした。
同29(1896)年3月より、「脱天子」の名で、森鴎外主宰『めざまし草』の新作小説を合評する欄「三人冗語」に、鴎外、斉藤緑雨とともに批評を載せるようになる。
明治30(1897)年以降は活動の重点を、小説を書くことから評論、随筆を書くことに、また、校訂、編著の方に移しはじめる。
明治40(1907)年頃からは、史伝類に手を染めるようになる。
露伴は尾崎紅葉とともに並び称せられる明治期を代表する小説家である山田美妙(ヤマダビミョウ)1868〜1910。
小説家。
東京都神田柳町生まれ。
1885年、文学結社「硯友社」を設立、『我楽多文庫』を発刊する。
1888年、処女短編小説集『夏木立』を出版、小説雑誌『都の花』の編集長。
1894年、いわれのないスキャンダル事件により、文壇から離れさるをえず、晩年を不遇のうちに過ごした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)この商品の関連ジャンルです。
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