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アール・ヌーヴォーのデザイン性ある、重厚なガラス工芸品です。
ベース・ランプとしても使用できるデザイン性の高い作品です。
アール・ヌーヴォーのデザインに溢れた、自然を彷彿とさせる風情のある作品です。
表面に描かれた自然の風景は、5層のガラスにより芸術性の高い色彩を浮かび上がらせます。
ランプを灯すことで、美しく変化する風景をご覧下さい。
ベース・ランプとして灯りを灯すことで、山水の風景は暖かく、美しく変化します。
電球の灯りがまるで夕日のように、山と木を照らし、下部の水面に鮮やかな影を作り出します。
大きく表情を変える山水の風景は、見る方の心に癒しと暖かな印象を与えることでしょう。
■サイズ/幅14.0cm 奥行き 9.0cm 高さ 28.0cm■重量/1.3kg■材質/5層ガラス■付属品/ケーブルコード電球 1灯■生産国/ルーマニア(東欧)■注意/われもの こちらの商品は全て一点ものですので、売り切れの際には何卒ご了承くださいませ。
19世紀を代表する ガラス工芸家エミール・ガレ インテリアとして、芸術品として…美しさに心休まる一時を。
1846年5月4日 フランスロレーヌ地方ナンシーで誕生。
生家は鏡の販売業を営んでいたが、父が陶器・クリスタル製品の製造販売業を次々と手がけ、成功を収めていた。
1858年 ナンシー帝立高等中学校に入学。
文学、哲学、植物学、科学に優れた才能を発揮。
1866年 現在フランス領になっているマイゼンタールのビュルグン・シュヴィーラー社 (Burgun, Schwerer & Cie.) のガラス工場で科学とガラス製造の技術を習った。
当時の美術界をゆるがしたジャポニズムの先導者、また象徴主義の原動力として、その功績は 画家ギュスターヴ・モローと並んで、19世紀末フランスの代表的芸術家として、その名をとどめている。
1878年 パリ万国博覧会に月光色ガラスの器と陶器を出品し、銅賞を受賞。
また庭園装飾のための陶器で銀賞を受賞。
月光色ガラスを特許出願。
1884年装飾美術中央連盟主催の「石木土そしてガラス」展に出品し、金賞を受賞。
この頃より、フランス留学中の日本画家高島北海と交流をもち、草花、鳥、昆虫などをモチーフとした日本趣味の作品を制作するようになった。
1886年家具工房を設立し、家具の製造を開始。
1889年フランス革命100年を記念したパリ万博が開催された。
この万博にガレは500点を超える大量の作品を出品、また自社製パヴィリオンを用意して展示作品の演出も試みた。
その結果、ガラス部門で「ソロモン王の壺」がグランプリ、陶器部門で金メダル、家具部門で銀賞を受賞し、装飾工芸家として国際的な評価を得る。
特に酸化鉄(II)(酸化第一鉄)で発色させた黒ガラスを使用した一連の作品「悲しみの花瓶」シリーズは、それまでのヨーロッパにはない技法であり、大きな衝撃を与えた。
また、詩の一節や文言を作品上に刻み、象徴主義的な意味あいを強調した「もの言うガラス」と呼ばれる表現方法も、この頃から目立つようになった。
1893年シカゴ万博に出品。
1896年にパリの「シャン・ド・マルス」展に家具を出品。
1898年には「マルケトリ技法」、「パチネ素材」で特許を取得した。
1900年、パリ万博に大量のガラス器、家具を出品。
ますます高い評価を受けた。
1901年ナンシー在住の画家、彫刻家、デザイナーによって結成された「エコール・ド・ナンシー」(ナンシー派)の会長に就任した。
(ちなみに副会長はドーム兄弟のひとり、アントナン・ドーム)。
1902年、ドーム兄弟らとともにトリノで開かれた第1回現代装飾美術展に出品した。
この年、父が逝去。
1903年、パリ装飾美術館でナンシー派展を開催した。
1904年9月23日白血病により死去、享年58。