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橋本國彦(1904-1948) / 交響曲第1番、天女と漁夫 沼尻竜典 輸入盤 【CD】
価格:1,407円
商品の詳細ジャンルクラシックフォーマットCDレーベルNaxos *classic*発売日2002年08月28日商品番号8555881J発売国International組み枚数1関連キーワード 日本作曲家選輯 CONTEMPORANEA IMPORT valui 出荷目安の詳細はこちらHMV レビュー一度聴いたらクセになる・・・昭和の音楽絵巻物橋本 國彦交響曲 第1番 ニ調(1940)(世界初録音)交響組曲「天女と漁夫」(1933)(世界初録音)沼尻竜典指揮 東京都交響楽団多様化した音楽スタイル、悲しむべき戦争を一端とした日本の動乱。
"カオスと化した20世紀"に翻弄されつつも、日本における近代〜現代音楽の潮流をリードした橋本國彦。
そのあまりに多彩で重要な活動は、第二次世界大戦後になって意識的に封印されていたきらいがあります。
第2楽章に沖縄の音階を使ったことで有名な「交響曲第1番」(皇紀2600年奉祝曲)は驚くべきことにこれが初録音。
「羽衣伝説」に基づくバレエ音楽「天女と漁夫」は、近代フランス音楽と日本の伝統文化との融合。
作品の再評価を促す、沼尻/都響の素晴らしい演奏で。
交響曲 第1番 ニ調 交響曲第1番ニ調(1940年)は「皇紀2600年奉祝曲」として書かれた。
建国祭本部の委嘱で1938年から40年にかけ作曲され、1940年6月11日、作曲者指揮東京音楽学校オーケストラにより初演。
国家的祝典曲に相応しいポジティヴで民族色を湛えた内容と幅広い聴衆を納得させうる平明な響きを持ち、しかも機会音楽にとどまらぬ交響曲としての重みを持つ作品という面倒な条件(その条件はソ連の社会主義リアリズムと似通っていなくもない)を、橋本はよく克服し、結果、この曲は20世紀前半の日本の交響曲を代表するひとつになりおおせている。
この作曲家は多様な音楽様式を時と所によって使い分けながらも、その本質に於いては何よりもリリカルなメロディストであったが、この大作を性格づけるのも、やはり全編を横溢するうたごころであろう。
第1楽章は西洋のソナタ形式と、日本の絵巻物的美意識との融合である。
有名な第2楽章の主題は南日本の5音音階と結び付いている。
橋本はその主題をラヴェルの《ボレロ》のように反復させ、クレッシェンドさせて、クライマックスには伴奏に日本太鼓が持ち出されてくる。
そのプロセスは、1940年当時に日本が政治的、経済的、軍事的に抱いていた「南方への強い憧れ」と関係する。
第3楽章「主題と変奏曲とフーガ」。
主題は、唱歌《紀元節》(伊沢修二作曲)である。
曲はすぐに率直に主題を提示し、あとに8つの性格的変奏が続く。
フーガは、はじめに弦楽の提示する主題と、《紀元節》の主題と、第1楽章の3音動機とによる3重フーガを形成し、このうたに満ちた交響曲を壮麗に結ぶ。
交響組曲「天女と漁夫」 《天女と漁夫》は花柳寿美の委嘱で芦原英了の台本に基づき作曲され、1932年10月13日、寿美の主催する曙会の新作発表会(於日比谷公会堂)で初演された。
その直後から翌年にかけ、作曲家はこの音楽を演奏会用組曲にまとめた。
ここに収録されたのはその版である。
橋本國彦プロフィール1904年9月14日、東京本郷生まれ1923年東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)に入学。
ただしこの学校で彼が専攻したのはヴァイオリン(師は安藤幸)と指揮(師はラウトルップ)だった。
というのも、この学校には1930年代前半まで作曲科がなかったから。
1920年代後半 多彩な演奏会用歌曲群によって作曲家としての地位を確立1933年東京音楽学校の教官に就任し、厳格なアカデミズムの立場を代表すべき作曲家ともなった。
作曲家としての仕事に加うるに彼は、1934年までヴァイオリニストとしても活躍し、リサイタルやレコーディングを行っていた(ヴァイオリンの弟子のひとりに朝比奈隆が居る)。
1934〜37年、橋本は文部省から派遣されて欧州に留学、特にウィーンに長く滞在して、シェーンベルクの弟子で「新ウィーン楽派第4の男」と呼ばれたエゴン・ヴェレスに学ぶ。
また彼はベルクの《ヴォツェック》に接して衝撃を受け、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、ワインガルトナー、E・クライバーの演奏会に通い、レスピーギを訪問し、ハーバやクルシェネクに親炙し、帰国途中にはロサンゼルスでシェーンベルクに教えを受けた。
日本は1937年から中国との全面戦争に突入しており、帰国後の橋本は官学の東京音楽学校を代